でも、たまたまこれは人間の場合で、五感はほぼすべての動物にも備わっている感覚です。その証拠に、目・耳・鼻・口・肌は、どの動物にもある感覚器、そして、それぞれの動物に固有の進化をします。
たとえばタカやワシなどの猛禽類の視覚には、人はとても敵いません。1000メートルもの先の小動物を見つけ、猛速度で移動しながらも見失わず、獲物を捉えれば近距離でも焦点が合います。プロカメラマンの高スペックなカメラ機材を併せ持つのと、使い捨てカメラほどの違いがあるといっても過言ではありません。
その他に、闇夜でも見える目や、紫外線を感知する目を持つ動物もいます。情報量は多いとはいえ、人間は視覚によって進化してきたとは思えません。聴覚も同様で、フクロウやミミズクは、雪や地面の下数十センチでうごめく動物の音を聞き分け、場所も深さも的確に判断して襲います。あるいは、自分の発した音波の反射を聞き分けて、暗闇の中でも自由に飛び回ることができるコウモリもいます。
もっと身近な例では、犬笛は人には聞こえませんが、犬には普通に聞こえます。いかに、人間の可聴領域が限られたものであるかがわかります。動物たちが音に対する警戒感を過敏にしている姿を見るほど、人間の聴覚能力が決して高いとは思えません。
嗅覚も、犬は人の100万倍の嗅覚を持っているといわれ、ターゲッ卜が歩いた道を嘆ぎ分けながら辿ることもできます。他にも遠くから漂う、血の匂いを嗅ぎつけて集まってくる動物は、海の中にもたくさんいます。
それどころか嗅覚は、自分の縄張りを守るためになくてはならない感覚です。特に嗅覚の中枢は、記憶や情動とのつながりが強く、匂いで敵の存在を知り警戒を強めます。残念ながら人間の嗅覚は、どの動物よりも劣っているように思えます。
その点、味覚はちょっとだけ、人間の方が有利かも知れません。なによりも料理をして昧を変えるのは人聞くらいなものです。栄養素を摂取し、空腹を抑えられていれば良いのとは、わけが違います。
本来は腐食と毒の昧である酸味や苦味・渋昧も、昧わいとして嗜むようになると、雑食の極みに達しているといえます。
さて、残された感覚である人の触覚はどうでしょうか。私たち人間は「裸の猿」といわれるように、進化の過程で休毛を失っています。動物たちに比べて、敏感であることだけは間違いないでしょう。
それを感じるために、しばらく目をつぶって、肌だけに神経を集中してみてください。風力計でも測れないようなわずかな風を感じることができ、熱源があればその方向も分かると思います。
体毛で覆われた犬や猫などの動物に比べれば、人間の皮膚はいかにも弱々しいものですが、こうした微妙な光や風まで感じ取ることができます。そしこの触覚で、私たちは環境の快適さを感じています。